yukiuta235の日記

クソブログです。エロゲとアイドルと、ごく稀に読んだ本の話をするかもしれません。

騒いでるのを尻目に冷や水をぶっかけたくなるのは基本的にオタクの悪い所だと思います。

こんばんは、皆さんウマ娘やってますか?

僕はすげえやってます。スマホの電池があっという間に切れます。モバイルバッテリーを持ち歩く皆の気持ちをようやく理解しています。消費が早い。さっきブルボンを重ねて⭐︎4にして、ビワも引いてやりました。気持ちいい。

 

さて、Twitterのトレンドに、シンボリルドルフとかトウカイテイオーとか挙がってました。「あーそうね、夢の親子対決ねえ」とか、メジロマックイーンとかゴールドシップの2代間に及ぶ関係性とか見てると、「よく出来てるよねえ」とか思ったりします。意外と史実に基づいたストーリー性になってて、オタクが競馬を物語として知っていくというのは、そんなに悪いことじゃないんだろうなと思います。元々物語性を見い出しがちなスポーツの一つだと思うので、オタクっぽい人はより入りやすいのかなあという気もします。毎週JRAに課金してる身からすると「100円でもいいから税金納付しようよ俺と」とも思います。楽天銀行で口座開いてPATやれよいいから。NO GUTS,NO GLORY. 100円の心意気ですよ。このキャッチコピー死ぬほど好きです。

 

さて、今回ウマ娘で描かれている娘達はいわゆる名の知れたウマばかりです。G1を多く取ってたり、なんかとんでもないレースをしたりなんだりかんだり。ハルウララについての議論も多少見受けられましたが、ここはもうサラブレッドのサガであり、人間の悪い所です。それ込みで競馬であるということを自戒しなければならないと思います。

そして競馬を語る上で外せないのは、上に挙げた『血統』です。ブラッドスポーツなんて揶揄されるぐらい、その馬の運命を左右するのが親子関係。ドラマチックですよね。

 

急に話を変えるようで変えませんが、クワイトファインという競走馬をご存知でしょうか?

この馬を知ってると言う人はまあまあ競馬好きな人なんじゃないでしょうか。「物好きもいたもんだなあ」と言うのが、正直な僕の感想なんですが、今日はちょっとこの馬の話をしたいと思います。理由は、タイトルどおりです。

今回着目するのは、シンボリルドルフトウカイテイオーに連なる、日本の一時代を築いた血統の末路の話です。パーソロン系なんて呼ばれるサイアーラインですね。サイアーラインって何?って人には、血統表の見方ぐらい競馬好きを名乗るなら覚えとけクソオタクと言っておきますよ。ダビスタやれば嫌でも覚えるから。

 

今この隆盛を極めた血統はどうなっているかと言うと、

ほぼ消滅しています。

ルドルフもテイオーもめっちゃ強かったやん何で残ってへんねんって思うでしょうけど、血統というのはそう言うものです。一時期頂点を極めた血統が、10年経てばほぼ見かけないなんてことはざらで、「よくある話」です。今ルドルフ→テイオーに連なる仔達はほぼ残っていません。理由は様々ありますが、ものすごくシンプルに言うと、「仔達が走らなかったから」です。走らなかった理由も探ってみれば、当時の時代背景がって話に帰結するんですけど。要はサイレンススズカスペシャルウィークが悪い。

 

皆さん盛り上がりたいのは、「この馬はこうで、ここが繋がったりしてドラマチックなんだよなあ」なんでしょうが、じゃあ走らなかった馬ってどうなるんでしょう?

勿論、人知れず消えていくだけです。

競馬を数年に亘ってやっていると、「あれ?そう言えばちょっと前にあの馬の産駒デビューしてなかったっけ?」なんて思って調べて、「ああ、走らなかったんかあ。しょうがないなあ」ってなって大抵のそのまま忘れます。人間なので。

トウカイテイオーも、そうして競走馬としての記憶だけが残照として留まり、現在も『生きてる血統』とは決して言えない状況下にあります。

その中で、辛うじてこのルドルフ→テイオーのラインを繋ぎ止めている馬が、クワイトファインという馬になります。

 

戦績を調べてみて欲しいんですが、立ち位置としてはハルウララとそんなに変わりません。皆さんが週末に観ている中央競馬とは数レベルは落ちる地方競馬で142戦走り、勝ち星は僅かに6。ハルウララよりレース数で言えばよっぽど走ってます(ハルウララは113)。本来であれば登録抹消され、人知れず行方不明になってしまう運命を辿るはずでした。

トウカイテイオーの仔じゃなければ。

トウカイテイオーと、その前から連なる日本の競馬に一時代を築いた競馬好きの化石みたいな人たちが、クラウドファウンディングを実施。見事目標金額に到達し、現在も種牡馬として繁用されているようです。

しかし2020年度も種付けされたのは僅か2頭。無事受胎したのは1頭のみで、その命脈はほぼ尽きたとも言える状況下にあります。同じく、メジロマックイーンの直系種牡馬もほぼ瀕死。オグリキャップを祖父に持つクレイドルサイアーもかなり芳しくなく、ウマ娘で軒並み人気になっている娘たちの血統は、ほぼ死に絶えてしまっているのが現状です。

血統は齧った程度しかわからない僕でもわかります。クワイトファインの血統表を見た時は、

「なんだこれ、四半世紀前から引っ張り出してきたのか?」

と言う印象でした。

それくらい馬は永遠に引き継がれるものではなく、血の入れ替わりは激しく、そして悲しいくらいに、それを見ている僕らは忘れてしまうということです。

 

何が言いたかったかと言うと、ウマ娘観てちょろっと調べて、「いやー、競走馬には物語があるよね」なんて、知った気になって話すんじゃねえってことです。

宝塚で立ち上がったゴルシも、ちゃんと一瞬で馬券をゴミクズに変えられた人じゃないと話に厚みが出ません。エイシンフラッシュの実際の馬体を見て「あの馬は本当に綺麗だよね」って言うのは、ちゃんと馬体詐欺に遭った人が言うとより面白みが湧きます。スイープトウショウのじゃじゃ馬っぷりも、全くレースをする気のない直線手前までを見て、「終わった…」と思ってから、アホみたいに飛んでくる末脚に大興奮してないと、本当に楽しんだとは言い難いと思うわけです。母父マックイーンなんか異様に走ってねえか?という謎のゾクゾク感をリアルタイムで味わって欲しいわけです。全部僕の経験談です。

そして、その陰には我々のエゴで誰の記憶にも留まることなく消えていったサラブレッドが何百万頭もいたと言うことを、忘れてはいけないわけです。動物愛護をしろと言ってるわけではないです。ちゃんとそれも飲み込んでの「競馬」だな、と受け入れなければならないわけです。なんか逆シャアのシャアみたいなこと言ってるけどいいや。

 

ちゃんと全部飲み込んで、ちゃんと馬券を買って、より思い入れを持って向き合うと、競馬ってもっと面白くなるよって話です。

狙ってか狙わずかはわかりませんが、実世界の競馬界では、今新時代が幕を開けました。

牡馬・牝馬3冠馬が、しかも双方とも無敗で生まれました。それを嘲笑うかのように初対決でアーモンドアイが一蹴、完膚なきまでに叩きのめしたまま引退していきました。

今週からは春のG1ウィークが、今年も高松宮記念から始まります。キングヘイローが最後に辿り着いた頂としてウマ娘から界隈では有名なレースですが、これも親子でローレルゲレイロという馬が制覇しているなど、語られていないドラマ、そこに宿る思い出はいくらでもあります。

リアルタイムで筋書きのないドラマを見ないなんて、もったいないですよオタク君たち。

そのドラマに、金という形で参加してみませんか。いつでもあなたを手ぐすね引いて待ってますよ。

https://www.jra.go.jp

 

主催は、JRA日本中央競馬会でした。

Pアイドルマスターミリオンライブメモ

1/319を引く

100回転or150回転の時短中(要は右打ち中)にもう一回1/319を引く

右打ち中は1種と2種の抽選。1種は時短回数の補充

2種当選でV-ROOPをストック。別にVのスタートがあり、ここに入賞させる権利が得られる。

このVスタートチャッカーの抽選は1/1で、50%で10R、3RV継続が22%、3RV転落が28%。転落すると、ストックがあれば解放、無ければ10回転の右打ち時短。ここで引き戻さなければ左打ちに戻る。

V-ROOP自体は4つストックが可能。時短中に規定回数を消化するまでストックできる。でも結局1/319を引かなくちゃならないので、1種当たりで時短を補充するなどしないとかなりキツイ。逆に1種の当たりを無駄にしていない作りはやるなあという感じ

的な感じで大体は合ってるような気がする

 

正直これでパチンコ初めてっていう人にはシステムがかなりわかりづらく、何がどうなってんのか全くわけわからんと思う。ただ現在の規制を突いたシステムでもあり、これを思いついたSANKYOスタッフは天才だと思う。何もわからずに爆連したら抜け出せなくなる作りですね。

22/7計算中視聴者に今だから薦めたい坂道の箱番組たちと検算中に向けての心持ち。

22/7はポニーテールは振り向かせないが好きですね。エロゲっぽいので。

書こうと思ってたらまた新年を迎えていました。あけましておめでとうございました。ゆきうたです。

 

秋ごろだったでしょうか。秋ごろだったでしょうか?ヒョロワーにすげえ22/7好きな人いるんですけど、それに感化されて僕も計算中見始めたんですよ。

これが結構面白くてですね、どうしても技術的に難しい所までバラエティに昇華してるところがたくましいなぁとか、なんとか食らいついてる声優さんたちも大変だなあとか思いながら見てたんですけど、12月末に22/7 検算中ということでリニューアルし、中の人が画面に映る形で放映されることが発表されました。

中の人のキャラクター性がよりフィーチャーされるという点ではより親近感が湧くのかなあとか、技術的にあれをやり続けるにはお金が必要だったから、そこを削減する意味も多少なりともあるのかなあとかは考えたんです。

でもやっぱり心配なのは、その方向性の舵切が既存のファンにどのような作用を及ぼすのかです。僕個人としても、この中の人が実際に動かす2次元キャラという、今だからできる技術力と、今までにあったアイドル番組がどのような化学反応が起きるのかな、という見方をしていたので、2次元分が薄まったことによりどのような変化が生まれるのか、僕自身はどっちかというとファンが離れてしまう可能性もあるのかなと考えました。

なので、今回は同じ秋元康プロデュースアイドルで、同じく箱番組を持っている(もちろん3次元)の坂道アイドルたちの番組を毎週見ている僕が、それぞれの番組を紹介しつつ、検算中をどう見ればいいのかについて、傾向と対策を考えていきたいなと思います。

 

問題は検算中がBSイレブンにも放映があるので全国で見られる点に対して、坂道の番組は見るエリアが限られているところですかね…。結局坂道の布教には繋がらないっていう。ただあくまでも、検算中の今後の見方の参考になればいいんで、布教とはまた別箇の話なんでいいんですけど。

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ゴールデンアワー

https://dlsoft.dmm.co.jp/detail/mdetk_0010/?item=FQJXWAtTHV9cAEVTbAZWBlE_

こんばんは。クソ暑いですね。

高校野球を片目に見流しながら9連休の間に積んであるエロゲを片そうということで、久々の強化ウィークといった感じでプレイ。とはいえもう半分くらい終わっちゃってるので、もう一本できるかどうかもよくわかんないんですが。

なんでこれをチョイスしたかというと、なんかものすごい引きがあったっていうのがあったわけじゃなくて、

https://www.youtube.com/watch?v=JHwX5Hi43OE

がちょっと琴線に触れたっていうのと、レビュー界隈を見てみると評判が悪くなかったこと(特段良かったというわけでもないんですが)、FANZA見てたら半額だったので(月額やり放題でもできたみたいなんですけど、毎月元が取れる位本数やるかっていうとそこまでのガッツはさすがにない)遊んでみようかなという感じでやってみました。

 

大雑把にレビューをすると、どうしてもあるヒロインへ注力したというのが見えてしまい、それ以外のヒロインがちょっと置き去りにされてるかなという印象が残ります。キャラクター自体は個性あってかわいいし、もっとちゃんと膨らませてやればその他多数感にならず、もっと光ったのかなって気もします。でもそこも敢えてあっさりに魅せることによってラストを活かすことに成功してる構造にも見えるので、そこまで汲んで作品を送り出しているのだとすれば、まんまと我々は嵌められたという感じもしますね。

でもまあOPを見て雰囲気が合いそうだなって思えばやってみる価値はあるのかなっていう感じです。絵は綺麗だしエロいし、音楽の雰囲気作りは成功してるんじゃないでしょうか。シナリオ単体での評価が難しいと思うので、そこについて掘り下げていきましょう。毎回そこしか掘り下げていませんが。

後申し上げるのであれば、メインヒロインにパルフェ夏海里伽子感があるので、そういう層にはお勧めしたいなあといったところでしょうか。以下ネタバレなので、たまには続きを読む機能を使ってみようと思います。一見さんのネタバレを回避するブロガーの鑑。

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MUSICUS!

いやー、エロゲって、本当にいいものですね。

約1年ぶりにクソブログの更新に伺いました、ゆきうたです。しかも今回はちゃんとエロゲです。1周目はクリスマスイブ・当日と深夜3時までやっていたので翌日の仕事が大変でした。よかったねゆきうたさん、担当の案件落ち着いてて。

というわけで、MUSICUS!のまとめと、ネタバレ上等の長文限界オタクムーブをしてみたいと思います。一応概要と各ルート解説は別個にまとめるつもりなので、一応回避したい人は概要と最後のまとめだけ読んでもらえれば何となく雰囲気が掴める状態にしたいとは思っていますが、多くは期待しないでください。そもそも、言いたいことがありすぎてどこからまとめればいいのかまだはっきりしてない部分も多かったりしますが、そこは何かしらの努力で補いたいと思います。

 

まず、パッケージの絵を確認してみましょう。

https://musicus.over-drive.jp

Q おとこのこはなんにんいるかな

A かってかくにんしましょう

と、言うわけで日本一ロックな美少女ゲームブランド、OVERDRIVEから最終作として発売されたのが、この作品です。最新作のレビュー・解説なんてこのブログでは全くしたことないですね言われてみれば。いわゆるリアタイでやるのが辛いお年頃に入ってるような気がします。迂闊に地雷踏みたくないんだよ。

ただまあ、今回はイケるやろうと。なんでそんなに確信を持って買ったかって言うと、かつて僕を号泣させた、このクソブログでもちらっと紹介したキラ☆キラのシナリオライター瀬戸口廉也執筆が早々に公言されている作品でした。それだけで僕にとって買う理由としては十二分でした。

「もう1回俺を殺しに来いや瀬戸口廉也」を僕脳内キーワードに、無事クラウドファンディング期間を忘れ、泣く泣く発売日に購入。今思うと当時の僕をミサイルキックで吹っ飛ばしてでも課金させたい。ボーカルアルバムを意地でも手に入れろよ俺。でも1億ってすごいよね。割と正気の沙汰じゃないよね。

 

粗筋〜体験版ラストまで説明をしたんですが、さすがに助長な気がしたので省きます。多分2〜3時間で終わると思うんで、公式見て興味ある人はやってみてください。

 

☆大雑把に言うとこんな感じのテーマと受け取りました

人生における選択の重要性とか、人生をどう生きるか、みたいな意味合いが広義としては強いんですけど、僕はもう少しミクロにこの作品を解釈してみました。

「諸々の起きたことを自らの身で受け取り、そこから生み出されるものを感情と呼ぶのであれば、感情ってどういう風に表現すべきなんだ?そもそもこういうものって押し出すべきなのか?もっと言えば、こっちが表現しても相手にはどう届くんだ?どう届くのが正解なんだ?」

その表現法として音楽がこのゲームにおいての主軸を担うわけですが、それ以外の感情の吐露、そこから生まれる反応っていうのも実に解説のしがいがあります。

もっと単純に言っちゃえば、音楽を通して花井が見ていたかもしれない世界を、自分なりに探しに行く話です。あらあら、めっちゃシンプル。

ストーリーの展開を追いながら、感情の揺さぶられ、そこから動いてく物語、という形でこのくそブログを展開していきます。はいよろしく(どうゼミ校長)。

 

〜ぼちぼちネタバレ開始〜

 

★共通ルート

馨にとって思春期に持ち合わせるであろう、ぶつけようがないけど持て余してる感情をぶつける先をバンドに見出したような気もしたんだけど、結局休止になって。これをどこに持っていくかっていうことになるわけなんだけど、√によってはゴールがよくわからなくなったり、なかったりもする。そう考えると我々はどうやって思春期のアレを処理していたんだろうかとか考えますね。なんだろう、オタク活動なのかな。よくわからん。

ただ大人になった我々からすると、こういう感情を思い出すことって少なくなりましたし、思い返したりすると怖かったりすると思う。当時の思い出が〜とかじゃなくて、当時持っていた謎の焦燥感とかって、基本的に持ち合わせたくないじゃないですか。焦んのやだし。

そういう感情の行く先を自らのバンドを作ることによって見出そうとするんだけど、勿論答えが出るかもわかんないし、ご飯を食べられるかもわからない。それを弥子のお父さんから、人生を賭ける意味というメッセージを痛切に受け取ることになり、大きな選択に迫られることになるわけですね。もっと大雑把に述べるならば、感情に従ってよくわからんものに人生を賭けるのか、それとも現実的に生きていくのか。

普通の人はほぼ後者を選ぶんだけど、人生一度しかないんだから、前者を選んで前のめりってのも悪くないんじゃない?みたいな。こういう時期だと自分以外の人生をBETしなきゃいけないみたいなこともないから、まだ身軽なのかなって見方も出来なくはない。大人になっちゃうとしがらみがだいぶ増えちゃって、身動きとれなくなっちゃうもんねえ。という感じですかねえ。

あんまミクロ視点じゃなくなりましたね。シナリオの構成観点で言うと、学校を辞めないとメインヒロインである所の三日月も、攻略対象のめぐるも澄も出てこない。ってことは物語の視野も狭くなるわけなんですけど、世界を狭めることによってメッセージ、物語性を明確にする意図があるような気がします。それっぽいことを言いました。

バンドを組む√に踏み出すと学校を辞めるってのと同時に、なんとなく勘づいていた弥子からの告白をバッサリ斬ることによって、非日常へ飛び込む意志の固まり方を感じますね。脇目振らずにその方向にしか進めなくなるのは、馨の性格を我々読者に対して更に定着させることに成功してますね。

 

★攻略順に各ルート紹介

僕がやった順は、めぐる→BADEND→弥子→三日月。割とおすすめの順番なんだけど、対立項を明らかにして、もっとわかりやすくと言うんであれば、BADと三日月は連続してやるべき。弥子だけちょっと例外的な構造なので、最初にやるべきか。いやでもぉ、BAD√の選択を見てから弥子√やるとほんまよかったなあってなれるからこの方がいいと思うんだけどなあ。めぐるはラストじゃなければ任意の位置で攻略すればいいと思う。

 

各ルート解説になりますので、この辺からはさすがにやった人向け。

 

★各ルート解説

☆めぐる

子供の頃から大人に振り回され続け、自殺も考えていためぐるが辿り着いた先が、ベースを弾くこと。そうなるともう、彼女には手放せなくなるものというのは至極当然の流れなわけで。そこにぶつけられるものは全てぶつけてしまうというのはよくわかる。そういうのが見つけられるだけでも結局死んでしまう生物にとってはかなり幸せなことなのかな、ってのが大雑把な感想です。以下、めぐる√の細かい感想です。もはや雑多に書きなぐってますが修正するのも面倒なので、流し見程度にどうぞ。

 

 

はっきりとしてる感情は「とにかくライブをやりたい」。この1点。ED直前でも、少なくとも外見からは変わってるように見えない。が、大きな出来事はあった。同じ結論でも、どういう経路を辿ってそこに行き着いたのか、という確認が必要だと思う。

そこで個人的に注目したかったのは、なぜめぐるが馨に対して心情やら家族のことやらを話す気になったのか。ってのは、シナリオのテーマじゃなくて、シナリオの物語、展開性を見直す上で確認の必要な作業になる。ここに飄々とするめぐるから感情の表現が見いだせると思う。単純な気まぐれとも思えない。ってのが1周目やった後の気づき。

で、2周目考察。先にそういう持ちかけをしてるのは馨。このアプローチに関してめぐるは込み入ったことに関する反応はないが、感情の一端は吐き出してる。酔った勢いなのかなんなのか。そして馨はバンドを始めようと思った原点に改めて立ち返る。田崎さんの離脱ってのもきっかけになってるのかな

馨にとってはめぐるは経験の長さからある種の行動、バンド運営の指針になってる感じがある。んーーーー。めぐるが朝川のリアルに弱っていくところを見て自身もどうすればいいのかわからなくなって、付き合いも長くて、他メンバーとは距離感がやや近かった馨と混ざりあっていくって感じかなあ。感情とかがバンドというのを通して混ざりあってく感じが、市民ホールのライブの形を作ってると思うし、恐らくめぐるもあまり予期してなかったであろうタクシーでの感情の爆発に繋がると思うし、2人共通の結論として導き出されてる感じがする。恋人関係になるわけではないから依存しあうわけでもなく、バンドと経験を通じて互いが混ざり合う感じ。そこにこのシナリオの美しさがあるような気がする。

じわじわ侵食されていく感じってのはこの人書かせるとむちゃくちゃ上手いんだけど、それをある種逆手にとって、タメを作ってから爆発させた感じってのはまた違う趣があるなあ。独白シーンもこの侵食される感じに含められるかな。現状に至るまでのめぐるの、なかなか掴みづらい「歪み」の正体がはっきりするのは気持ちがいい。内容は別に気持ちよくないんだけど。

 

話前後して申し訳ないけど、この人の文章で好きなのは、個人に延々と喋らせるシーン。ご多分にもれずこのシナリオでもめぐるの独白シーンがあるんだけど、これを聞く中で1番印象に残ったのは

→自分の思ったとおりに生きられないのが辛い

ここがめぐると馨が混ざっていく大きなワードかな。馨はそれを探しにバンドの世界に飛び込んだってのが恐らく大きいし。

めぐるはめぐるで、朝川を通じて音楽に自分の思ったとおりに生きる道を見出す。そこに1番惹き付けられたんだろうなあ。そして朝川が死ぬことによって、

ただ好きだったものから、死ぬまで明確に引きづって行くもの

へと変化を遂げることになるのかな。変容していくところがじっくり描かれてるのはやはり氏の上手さと称えるべきでしょう。

馨は馨なりに人生を生きる意味というか、音楽に込める意味みたいなものをバンド・朝川を通して見出していく様子も面白い。彼自身は朝川が死ぬ前にほぼほぼ結論出てるわな。ただ、その感情が全部バンドに向かっちゃってるせいで、そこまで人に興味無いのは変わらんままだったけど。以上、2周目シナリオ考察。

 

 

めぐるの性格もあってか結構凹凸の少ない印象もあるかもしれないけど、それでも最終的にあの距離感というのは不思議。んまあ、逆に考えてみればめぐるでなければ出せない「空気感」からかそんなに不思議じゃないのが不思議。共依存感が実に薄いのがいいよね、みたいな。ここに関してもめぐるの姿勢は一貫してる。

多分良くも悪くも1番未来が見えないED。ある人の死を乗り越えた結果、日常に戻るという、先の予測がすごく難しいエンディング。でもまあ、少なくともバンドとしてライブをやり続ける限り、彼らにとってはしあわせなのかなとも思う。そしてステージの上で花井是清の見た景色とともに暮らしていくのでしょう。その辺の回答もはっきりと提示されてないので割ともやっとしなくはないんですけど、ノーフューチャーですよ。ロックしてる人生ですよ。

 

すめらぎ琥珀先生にたれ目の女描かせたら最高。 

 

 

 

☆澄

人生において正しいことって、なんなんでしょうね。って言うのが大きく括った感想ですかね。

自らの行く先を追い求める結果、最終的にただ堕ちていく様を傍観するという、所謂BADENDみたいなオチなので、基本的にはそのでろでろとした底なし沼に堕ちていく様を丁寧に解説していきたいと思います。馨も、見てるこっちも魂がゴリゴリと削られていく様はもはや芸術。

強いて言うなら、ひとつのものに取り憑かれた人間の魂の行きどころのある種のゴールと言うべきなのかもしれないけど、だとするんであればあまりにも寂しいし、悲しい。でも本人の人生なんだからと言われればその通りだし、それ故にさらに寂しいのかもしれない。

また、三日月√と個人的にシナリオ構成の観点において対比したいシナリオなので、折にふれてそこもちょこちょこ触っていきます。もうここまで書いてきた時点(1/4)でよくわかんなくなってきてるけど。追っていきます。

 

 

こだわりを持って曲を作り上げていくという側面と、やはり三日月は天才なのでどうにかそれを世間に知らしめてやりたいという葛藤と、どうしても現実の方に大きな動きが見えてこないことから、どう動けばいいのかという考えている最中に訪れるのは三日月のソロデビューの話。

上記に挙げた前提が違うとまた違う結論を出すんだろうけど、「私、馨さんのこと好きじゃないですかぁ」とか「私はバンドにいらないんですか!?」とかとか、このメンバー、特に馨に対して強いこだわりを見せる三日月を突き放し、三日月ソロデビューの話を進めることになる。

馨は基本的に理性で感情をコントロールできるというか、割と他人の感情に無頓着な人間なので(そのへんがサイコパスとか言われる所以なんだろうけど)、三日月の感情を全て受け取った上で「いらない」と言い切る馨の恐ろしさみたいなものが浮き彫りになる最初のシーン。ここから彼の崩壊が始まる。もうこの時点で「自らの理想に沿う音楽を造りあげる」という、このシナリオにおける細かいテーマに取り憑かれ始めてるって言い換えも可能ですわな。

このシーンの三日月の泣きながら馨を見る視線がたまらないんすよ。マゾ的にも、シーン的にも。のちのち三日月のキャラクター性には言及しますが(個人的にはこのキャラクター性は本人のルートと密接してると思うので)、すごく言葉が極端になる子なので、ここの容赦なく責め立てる三日月は実に印象的。また、馨が(恐らく三日月がどう思ってるのかをわかった上で)理詰めで押し込めていく様も壮絶。ゆきうた的泣きポイントいち。

 

〜2周目考察〜

三日月が自身の√で言うことと、この√の別れ際に言うことって実はそこまで大きく差がないんですよね。何て自分に正直な生き物なんだ。眩しくて直視出来ん

 

次、というかほぼこれが決定打だと思うんだけど、馨と同じように風雅が精神面から自分を追い込み、遂には肉体へ影響が出て、ぶっ倒れて入院することになる。風雅的にこういう動きにさせた決定打は、上記の三日月の活躍のシーンを目の当たりにしたせいなのかなって感じはする。そら一緒に活動してた子がテレビに出たら焦るわなあ。大人になると、「頑張ってるな」で済むんだろうけど。

で、入院後にベッドで精神面に追い込んだ理由を語る。「「このバンドは僕が入ったことで間違いなく売れる」と言い切ったことへの責任」というのが大きくとりざされてるわけだけど、よくよく読むと対馬馨の紡ぐ歌が好きで、それを世間に拡げたい。それに僕の手が入ると対馬馨の音楽ではなくなってしまうのではないのか、という、甘いヤンデレみたいなコメントも飛び出してくる。

そもそもその前から馨のことはすごく好きで、彼に惹かれてこのバンドに入った経緯、一緒に活動してくうちに彼にさらに取り憑かれていく様は丁寧に描写されていて、上記の感情を更に突きつけられる形になるのは、馨にしても、こっちにしてもかなりキツい。

最初の登場シーンのインパクトの強さもあって、普段強気で何事でも自分でこなしてしまうようなところのある風雅の、あまりにも馨が好きすぎるがゆえの残酷な言葉が非常に刺さるシーンだと思います。ゆきうた的泣きポイントに。

今考えると三日月・風雅の離脱は一緒くたにして書いた方が見栄えいいですね。アプローチの仕方はあんまり変わんないし。「何かこいつ同じこと言ってんな」と思っといてください。でもどっちも僕は泣けるシーンなんだよ。くどいけど説明したかったんだよ。

 

話戻しますけど、バンドを解散させて、個人で活動するようになってからさらに転がり落ちていく。この辺でライブが楽しいから、自らの音楽作りに感情がシフトしてることが伺い知れる。もはや音楽の奴隷ですよ。周りから人が居なくなるのもそうだけど、解散を決める時の独白シーンもまた、思考の泥沼に堕ちていく感じがたまらなくいい。氏のファンはもうこの辺最高でしょうね。僕もマゾなんで最高でした。後、海外小説の名前や例えが繰り返し出てくるのも氏の趣味が垣間見えるのと僕のオタク心をくすぐってきて、なんかもう見てる僕の感情をめちゃくちゃにしていきました。

この転がり落ちていく最中に手を差し伸べてくれるのがこの√のメインになってくる澄。いくら音楽活動に傾けていても、誰も居ないって寂しいんだろうなと思います。音楽に関係ないから一緒に居られるのかなとも思います。でももうこの時点で誰かと音楽をやろうってのは無理でしょ。金田が誘いに来た時なんかもうとっくに遅いですよ。

澄にとっても、誰かにいて欲しいという飢えから、同じ匂いを感じる馨に近寄った感じもする。ここから澄のなんとなくの人となりが掴めてくるんだけど、対比する三日月とはまるで真逆の性格をしている。感情を露わにして、打ち解けた人にはガンガン自らを押し付け、相手からの言葉を求め、それに一喜一憂する三日月。対して自らのこともそこまで話さず、所謂空気を読むタイプが澄。自己主張の有無ってのが大きな違いになってくる。そこを踏まえて前後のシナリオを消化していくと、見所が増えます。オススメです。

 

この辺から金田が三日月のイベントの話をする辺りまでは、周りとの社会的な位置を如実に書いてきててガツンと来る。馨は売れない曲を書くただのヒモですからね。そうしてさらに心が死んでいく。周りの人も全く信じられなくなっていきます。もうこうなってくると「誰かが死なないと収集つかねえなこのシナリオ」となります。現に馨も死ぬしかないけど死にたくないなって言ってるし、澄は何言われても自分のことについては強く言わないし。幸せってなんだろうな。

で、澄轢かれてあっさり死んじゃうんですけど。その事から澄が本当に自分の曲を聴いてたことを知ります。誰にも、1番身近にいる人にだって自分の曲なんて届いてないー、そう思い込んでいたところに飛び込んできた、周りにとっては取るに足らない、本人にとっては衝撃的な事実。自身の音楽への理解者が居たとわかった時に馨の死んだ心が蘇ると同時に、生まれた感情を音楽に表す情熱を思い出します。BGMとして馨の衝動を初めて呼び起こした『ぐらぐら』が流れるなんとも皮肉の効いた構成は、やはりライターの末恐ろしさを感じさせるラストシーン。

誰かに音楽に自らが込めたこの感情が伝わってるはずだー。本人にとってはいちばん大事な人を失うことで原点に立ち返り、やっぱりこれしかないってなるんだろうけど、周りから見ると「こんなことあるかよ」と寂しくなれます。救いなんかねえよ!

 

 

めぐる√においてお互いを「バンドを通じて混ざり合う」と申し上げましたが、この2人に関しては「混ざりあってるように見えて全く混ざりあっていなかった」という恐るべき結果を目の当たりにすることになる。澄がとっくに受け入れてるはずだったのに、結局馨が音楽の中に閉じこもったまま澄に対してなんにもモーションを起こせなかったわけですね。そして馨自身が澄に対する感情を知ったのが、いなくなった瞬間であったと。この辺は花井が死んだ時にも恐らく引っ掛けてきてるだろうと思う。どっちも流されるままに付き合っていく感じも酷似してる。混ざり合えるはず(人としての幸せを掴むチャンスがあった)なのに混ざり合わなかったという方が正しいかも。

シンプルに言ってしまえば所謂鬱オチなんですけど、馨本人にとってはそこまで暗くなるような内容だったのかと言われると微妙に首をひねりたくなるのがなんとも。大切な人を失って絶望はしてる。でも感情を乗せて音楽を作り世間に出すというのは、原点に立ち返ってる分、良くなかったとも言いきれないかなと。受け取り手としての我々としては、ゴールに至るまでの過程をドロドロと描く描写力に吐くのが正解なのか。僕個人の主張としては、2019M-1を見たかったはずなのに放棄してぐらぐらにさせられた展開と顛末にお前らも苦しめ。

最後にポイントとして、「誰にも聞かれないであろう曲を作り続ける」。ここを抑えておいてください。

 

 

 

☆弥子

実は今回のシナリオだとこの√が一番好きなんですけど、なんかパッと見だと「いい青春ものだったね」みたいなサラッと流されてるような気がします。もちろんその側面は強いし、そこがおっさんには眩しい。が、今回のゲーム全体の構図からすると、構成の上手さも非常に光る見事な√だったと思います。チクチクと解説していきましょう。

 

 

まずこのシナリオの形は歪というと言い過ぎなんだけど、このゲームとしては異例の形を取る事になる。本来物語の中心となるはずの『Dr.flower』を組まず、音楽とは距離を置くことを前提にして学校に残ることで自らの感情の行先を模索することになる。でもこれって、普通の人生を送ってる人なら当たり前の行動で、冷静になってみれば衝動の先を求めるために学校辞める方が頭おかしい。そういうことで考えてみればこの馨は普通の行動を取ったと言える。この結論を出したのは弥子(とその家族)の影響が大きく、そうすると当然のようにこの2人を中心に物語は動いていくことになる。

で、弥子って攻略可能ヒロインの中では1番まともで、1番いい子なのよ。よく言えば癖がなく、悪く言えば刺激が少ないとも言える。周りにも気を遣うし、皆からも何となく頼られる存在になっている。馨からすればそういう行動って恐らく理解できないと思う。一方で、ただ無心で努力ができて、エリートコースを歩んできた馨と自分の状況を比べると、自分には真似出来ないなと思ってる弥子。お互いがお互いを尊敬し合ってるから、すんなりと溶け合っていく感じ(特に馨の方)が見てて違和感ないというか、むしろ当たり前を描く丁寧さに美しさを感じる。

 

引きこもりを連れ出して、金田がバンドをやろう、普通科に通う奴らに夜間もあるんだと見せつけてやろうという非常にロックな形で話は展開を見せる。このあたりから馨の衝動がもう一度首をもたげ始めるが、そうすると何のために学校に残ったかわからなくなる。とは言え、やる以上は元バンドマンとして恥ずかしくない形で発表をしたい。が、夜間の人たちとはどうやら温度差があるらしい。色々折衷案は出したけども…という堂々巡りに入る。このぐるぐる感は馨らしい、もっと言えば氏らしいライティングが光る。

この辺は設定も素晴らしい。昼間じゃなくて定時制だから、普通に学生したい生徒ばっかではないんだよな。とりあえず高卒の資格取れればいいやって人も居れば、どうしても前の学校に馴染めずに何とか通ってる子、事情があって昼間に学校行けない人もいるわけで。これが普通の学校ならもっと簡単に盛り上がったのかもしれない。が、そこに宿る熱量となるとまた別の話になる。夜間生徒だからこそ出てくる恐らく通常以上の熱量、でも夜間だから出来ないこと。この辺の設定とキャラクターのもどかしさをびっしり描いてきた、ライターを始めとしたスタッフ陣に転がされてる時点で、もう読んでる方としては負け。

 

で、物語の方に戻ると、この温度差を埋めるために活用されたのがライブハウス。音楽で食っていこうとしてる人達と一緒にやること、観客の独特のグルーヴ感、ステージ上で演奏することで生じる感情の変化というものは、やってみないとわからないってことをメンバーに伝えたかったんだろうなってのがわかる。読み手としてはこの√だけでも堪能出来るし、増してや他の√では言わずもがなである。そういう意味でも他の√を味わってきてからこのシナリオを読んで欲しいなっていうのは思ったりするんですけど。ここでバンドメンバーのボルテージが一気に上がってくる。

ここで注目したいのは、馨の立ち位置。演奏者としてもちろん参加はしてる。が『Dr.flower』に対しては当然自らも意欲的に参加しているんだけど、『night schooler』に関してはある程度一線を引いた形での参加になっている。明らかに意図的な距離のとり方をしているのは、やはり馨にとっては学生生活の一部としてこの一連の活動を処理しようとしてるのがわかる。というかここで同じようにヒートアップした時点で、繰り返しにはなるけど「学校に残った意味」が無くなってしまう。花井を、ギターを捨てた意味が、無くなる。

この熱を作りあげた張本人が1番冷静に努めようとしてるのは馨の性格がよく出てる。これを楽しそうに眺める弥子という構図というスタートの関係性崩してはいないものの、「人に対して何かをしてみる」という姿勢を弥子から吸収しつつある過程を見ることができる。

この熱に呑まれていく定時制の生徒。ここからは馨と弥子の関係性も含めていわゆる学園モノをやってるような展開になっていく。もう学園祭前日の感じなんかそのものでしょ。ボーカル変更とかも。溜めに溜めた弥子が告白してきたシーンなんか最たるもんですよ。この辺はしっかりと上記の前フリが効いてるので、なんとなくではなく読み手の感情がしっかりと昇華されていくのは冷静に見返すとよく出来てると思う。学園に残った時点でこのシナリオに絞ってきてるってのも効果的に働いてる。馨が将来について割とノーフューチャーなところは変わってなかったりして、そこに対して弥子が希望を持ち始める感じなんかは、互いが溶けていく感じがしてここも心地よかったりする。このゲームでちょいちょい出てくる、「今が一番しあわせです」にも通ずるのかなあ。

かといってバンドを造り上げていく感覚というものを捨てきってるわけでもない。ただ全く先行きが見えない形ではない。『Dr.flower』はバンドを造り上げること関しての操作が効かなくなって(自らそれを望んでなんだけど)様々な道筋を選ぶことになるけど、『night schooler』に対してはゴールが明確なのも大きいけど、馨が手網を握りきれてるのも着目すべきポイントだと思います。握れてるからなのか、馨にとっては学園祭の域を出ない感じもしますけど、見たかった景色もある程度被せようとしようとしてるのも窺えたりします。この窺ってる辺りが僕のこのゲームで1番好きなシーンへの布石にもなってるんですけど。後、どの道花井に対する感情みたいなものにも全く整理がついてなかったりするのが、ポイントとしてあります。バンドをする=花井に少しでも近づこうとする行為みたいなもんなんだけど。馨にとっては。

 

で、ライブ当日を迎えて。ほとんど顔も見たことも無いような生徒達に対して、ガッチリと嵌めてやることに成功しました。見てる側が音楽に呑み込まれていく感じ、演奏してる方の高揚感、そこに渦巻くごちゃ混ぜになった感情が吐き出される感じは、他√にも言えることなんだけど、堰を切ったように溢れかえってくる。特に今回のは一発勝負、メンバーの入り方もちょっと感覚が違ってくるのがまた楽しい。地味に好きなのが、金田のギターが微妙に合ってないところで、手作り感が拭えなかったりするところもすげーパッションを感じる。そしてライブを終え、学園生活、また何かをやりきるというものに対して感情を燃やし切ったようにして終息します。このライブでステージに立つ面白さに目覚めちゃうメンバーもいるにはいるんですけど、それはそれという感じ。新たなスタートを切ったとでも申し上げましょうか。

が、馨の感情にゴールが見えたわけじゃありません。結局馨自身が音楽をやろうとした意味、花井が見ていた景色を見る。上記した窺ってるところですね。この目標が舞台上で結局果たせなかった馨はライブが終わった夜に、改めて自分の家の地下室で花井のギターと向き合います。翌日には三日月に返すためにこれを北海道へ送らなくてはなりません。そこで、ギターと別れを告げるために、最後に一人で演奏を開始します。曲目はこの世界に入るきっかけになった、花鳥風月の『ぐらぐら』。

 

僕ねえ、このゲームだとここのギターソロが一番好きなんですよ。

 

シーンとしてはめちゃくちゃ短いシーンで、なんとなく読んでいれば「まあそういうことは区切りとして必要だよね」で終わるんです。それでいいんです。人生なんてそんなもんです。でも僕からすると、この間だけで、ここまで載ってきた馨の色んな感情が全部爆発し、そして全てを終わりにしていく様がありありと現れていて、ひとつのゴールを切る瞬間っていう風に見えて。こんなに明確に「お わ り」って書かれると清々しい。綺麗な終わりがあるって美しいですよ。読了感半端ない。

 

弥子と付き合うことで溶け合って、馨がすげえ人っぽくなるというパートが最後に残っています。基本的に弥子以外の人はどっかねじ吹っ飛んでる登場人物ばっかりなので、馨がまともな人になるっていうのはこれはこれで貴重だったりします。ちゃんとくっついたまま終わるENDって厳密にいうとこれだけだしね。めぐると澄は説明した通りだし、三日月は三日月でまた色々経た末のENDがあるんですけど、それはまた追々。

卒業シーンはもはやおまけですよ。ライブの後定時制の人たちはそれぞれの道へ踏み出してるし、馨も吹っ切れたし、弥子にも明確な将来の目標ができてるし。ただ、お互いへの道へまた一歩踏み出す。卒業もただの人生の一幕に過ぎないんだなーなんてことをおっさん思ったりします。そういう意味ではやはり大人が多い定時制ならではの卒業式と言えるのかもしれません。

この√のENDムービーも実は死ぬほど好きなんですけど。卒業に合わせた校歌ってのはまあ言わずもがななんですけど、悶絶するくらい好きなのが、CFリストが流れる隣でスマホSNSを追いかけてるシーン。あのSNSのグループタイトル、「幸谷学園_夜間(9)」ってなってるじゃないですか。あのグループに9人いるってことじゃないですか。そんなん誰でもわかるんですけど。でもあれって遡っていくごとに会話に参加してる人数少なくなってません?僕らが確認できるところまで見ると、弥子が自撮りを送って馨を励ましてる会話も見受けられます。2人じゃないとあんなんやらないでしょ。とか考えていきますとね。

これってどう考えてもバンドとしてまとまりを生んでいくうちに定時制の人たちがどんどん増えてるってことでしょ?

なんなのこの美しさ。なんなのこの完成度。こんなに端的に物語を飾って、こんなきれいにまとめたムービーありますか。もう青くて見てられないくらい眩しいんだけど的にあそこまで絵で語るというのはなかなかお目にかかれないと思う。ライブ当日でお腹いっぱいだなって思ってるところにこんなもん流されたら「最高だった…」以外のコメントが出ませんでした。

 

 

このゲームにおいては唯一人間らしく互いが混じりあって人として変わっていく姿を描いているので、その辺にある話と言われればそうなのかもしれません。しかし花井是清というこのゲームの核になる人物の影を、だいぶ俯瞰した目線から主人公が見直すことによって、感情表現、未来に対するその時点での回答を清々しく叩き出す気持ちよさは、青春の一言で片づけてしまうの惜しいと思います。もちろんそんな感情を持ってバンドに向かってるなんて結局作中のほとんどの人は知らないけど、むしろ知らないほうが音楽に対してまじりっけがない形で聞いてもらえるし、馨にしてもそれを望み、最終的には自らを投じて得た回答です。多少後ろ髪を引かれる思いがあったとしても納得して未来に進んでいく姿は、人が当たり前に人生を生きていく姿そのものじゃないですか。

学校に残って学業のレールに乗り直す=花井の幻影をどこかで捨てるというのはシナリオ上の既定路線になってしまうのは否定しませんが、捨て方がかっこいいといいますか。青臭さの影に隠れた人間臭さみたいなものをこの√では堪能できるんじゃないかなって思いました。僕個人の思い入れをもっと言ってしまうと、澄√を通った後でこっちをやってますので、そりゃエリートコースには乗ってる時点で人とはちょっと違うのかもしれませんけど、その辺にありそうな話っぽく馨が幸せになる様っていうのは見てて本当に「良かったなあ」と思えました。澄の後に弥子やった方が幸せになれるよってのはその辺の感慨が大いにあります。弥子共々幸せになってほしい。

 

 

 

☆三日月

僕は別にバンドを組んだことがあるわけではない。多少作曲を触ってたことはあるけど。でもライブに行ったことはある。その場でしか味わえない、演者と受け取り手が一緒くたになって混ざり合っていく感じは、決して音源を聞いているだけではわからないものが、あの場所にはある。このぶつかり合いに自らの感情の捌け口を見出す人も少なくないのかもしれない。それがロックンロールの一つの答えなのかもしれない。

何となくそれっぽいことを言ってみましたけど、想いをぶつけあって刹那を生きることが結局未来を生きること、そういう考え方があってもいいのかもしれないなと思いました。その瞬間に魂をかけられないのであれば、何をやっててもあまり関係がない。逆のこと言えば、魂をかけられるのであれば他人に迷惑をかけないんであれば何してもいいんじゃないの?的なことを感じています。少なくとも三日月はそうすることでしか自分の居場所を作ることができなかったんだろうな、と。

人と人とでぶつかり合うことで生まれる音楽もあるし、人生もあるし、そこから派生する感情だってある。花井三日月と深く付き合うことでそういうもんだなって馨の考えが変わっていくのも面白いし、我々にとっても忘れてた何かを思い出させてくれたような、やはりラストにやるべきシナリオであったな、と大いに納得できるお話でした。不器用でも、人から見たら違う方向へ向かってたとしても、一生懸命生きるって大事よ、なんだかんだ。

澄シナリオで三日月と対比させたいみたいなことを言った気もするので、少しずつ触れていきます。

 

自らを世間に認知させるには自らの音楽だなんだなりふり構ってはいられない、というスタンスから物語は変貌していきます。この辺から既に澄√とは異なる展開を見せるし、何より花井とは別の方向へ舵を切ったというのが大きい側面かもしれません。かといってこの問題に大きな結論が出るわけでもないんですけど。『Dr.flower』の看板を背負ってる以上、馨と三日月にとっては恐らく永遠に追いかけてくる影みたいなものでしょうから。

花井が作った曲である公表して世間に出すことでそのストーリー性すらも自らに取り込んでいくっていうのは、花井に囚われてることを自覚しながら前へ進もうとする馨と三日月の強い意志を感じます。それによって返ってくるオーディエンスの思いも全部受け止めて糧にしてやろうみたいな感じも見受けられます。自らの葛藤ではなく、ぶつかり合うことで未来を切り開く。健康的なことだと思いますし、澄√ほど鬱屈もしてないし、バンドとしてこの先もやっていくというところも今回は馨と三日月の中で一致してると思います。ゆえに三日月のソロプロジェクトの話が来た際にも、馨が残ってくれと頼むのは当然の流れになるわけですね。ただ三日月に対して「本人が望むなら仕方がない」という独白は、人の感情に鈍感な馨っぽいところが残ってるなという印象です。

そして改めて確認しておく必要が出てくるのは、花井三日月の人間性。彼女は人一倍、感受性が強い。が故に、自らの感情表現の仕方も激しくなる。ステージ上においても、自らの感情を吐き出し、レスポンスに必死に答えようとしてる姿も感じられる。上がり下がりが激しいけど、でも自らに期待してくれる人たちには精一杯答えようとする。自らに正直だけど、どこまでも臆病。この辺は彼女の容姿、そして幼少期の思い出なんかが引っかかってきてるんだろうけど。このキャラクター性を押さえてから、話を進めます。

 

バンドは停滞を続けるけど、周りの状況は変化していく。同じように演奏してた人たちは自分たちだけで客を呼べるようになるし、ホームにしてたライブハウスは終わるし、金田は家族として形を成していくし。壁を感じてたところに舞い込むのが、バンドとしてのメジャーレーベルへの移籍。ここから話は流転していき、周りの人の色んな支援があってではあるが、トントン拍子で世間へ推し出されていく波に乗ることになる。最初の澤村が感情のままぶつかってくる感じってのもいいよね。それから澤村が巻き添えくらってく感じもいいよね。

その中で少しずつキャラクター性にも変化が生まれてるのがポイントか。馨は人に対してフラットな視点を持ちつつも、感情の流れ込みを覚えるようになるし、三日月は自分に正直なこと、バンドとして売れたいっていうのは変わらないけど、不変性を求めていた心境には大きな変化があったようだし。ただ馨に関してはこの変化を何となく受け入れてるように見えるけど、三日月は必死にあらがおうとしてる様子もうかがえる。彼女の激しい感情が、自らの価値観の変容をよしとしないんでしょうね。馨はバンドとして売れていくことに対して自覚的ですが、三日月はバンドとして売れることに対して気持ちが先行しすぎていて、気負ってる感じもします。馨が、バンドの皆が売れるといいなっていうのがわかったからこその行動だったのも透けて見えます。この三日月の葛藤、そして馨の感情が滑り込むように丁寧に描写される様は氏らしい文体で魅力的。

また花井の言ってたかもしれない何かを見つけに行くという意味では、音楽に生き、音楽に呑まれて死んでいった花井と、音楽に生きていこうとする馨と三日月がこの先に何を見つけるのか、見つけたいのかというのがあって、自らの感情と正対しながら音楽へと立ち向かっていく2人の決意を改めて見ることもできます。

 

そしてスターダムへの道を駆け上がるわけですが、急速すぎて心情が追い付かない、バンドとしての立ち位置に対して疑問を抱き始める馨。澄シナリオでは誰にも聞かれないであろう曲を作っていたことで心が死んでいったに対して、皆が聞く曲を作っていく結果、そのことに不安を覚えるというのは、また変な構造ではある。それに合わせるかのように三日月の心のバランスが崩れる。元々そんなに強くできてなかったですからね、三日月の心。様々な背景が考えられるので挙げてみますが、上記した

>バンドとして売れることに対して気持ちが先行しすぎていて、気負ってる感じ

に耐えられなくなったこと。皆で感覚を共有してバンド一緒に進んでいた一体感が薄れてきたこと。観客からの答えが見えにくくなって、自らの感情が本当に届いているのかわからなくなったこと。――歌うことに意味を見出せなくなってしまったのが大きいのだと思います。三日月から発せられる自らの空虚感、存在価値への疑問を投げつけられる様子は、結構大人でも重なる部分があるんじゃないでしょうか。でも馨へ本格的に、だけど乱暴に5年分の好きをぶつける三日月はめっちゃ可愛い。病んでるけど。

それに対して敏感に反応する馨。三日月の言動が下に入ってるのをある程度察していたとはいえ、随分まともな人間性になったと思いませんか?三日月のことだからこそ気づいたのかもしれませんけど。この辺はもうちょい掘り下げてもいいかも。今はもうここまで書いちゃったんでお腹いっぱい感ありますけど。

そして花井と同じ、音楽を演奏することでの孤独感にぶち当たることになる。この辺りは馨と三日月が共有できてることで、音楽に対して向かってる気持ちというのはすれ違わずにここまで来れたってことはある種幸せなのかなと思ったりもします。そういうところにお互いが惹かれあっていたのかもしれません。――花井是清を共有することでより深く繋がっていた。でも恋愛関係で繋がるには少し遠かった。死んだ人を中心に構成される三角関係とでも言えばいいんでしょうか。なんか違う気もする。後三日月が舌出してフェラしてるところめっちゃ可愛い。エロい。すめらぎ琥珀先生最高。

 

馨に対して今まで以上に寄り掛かることができるようなった三日月。音楽という柱が1本シロアリに食われたような状態になっちゃったから、元々依存していた馨へその度合いが高まったといえるのかもしれません。ただそのおかげで、三日月は再び歌う目的を見つけます。完全な答えではないので、これに寄り添う馨。馨自身も、花井が見たゴールにたどり着いてないわけですから。歌うことへの意味が見いだせなくなった結果、さらに探求できるようになったってものよくわからん話ですけど。なんか違うものが載ってきたとでも例えればいいんでしょうか。

また馨が三日月に自覚的に優しくし始めます。三日月に告白されたことで、目の前にいるのはどんなに才能があっても自分を想ってくれてるただの女の子であることを認識したのが大きいんでしょうか。もっとシンプルに言うと、情が移ってきたとでも言えるのか。丸く言い過ぎた気もしますが。これに対応するかのように三日月も最初ほどの離れられない関係性から距離をとれるようになっていきます。歌に捧げる姿と馨に見せる姿はすげえ健気ですよね。お互いがすごく人っぽくなってる瞬間が垣間見えて、この辺りの関係性あたりが温度としてもちょうどいいような気がします。

 

で、この関係性に割って入ってくるのがアシッドアタック。なんかこのシーン、舞台装置かなんかだと思ってる人多い気がするんで、ちょっと個人的考察を挟みます。

もちろんモロにもらって三日月は動きようがなかったとはいえ、馨がここまで感情を他人に対して露わにするシーンって、ここと香織のクソ男ぐらいしかなかったと思うんですよ。しかも今回は悪意のある相手としては共通してるものの、全くの他人に対しての攻撃性。本来こういうことするのって三日月のはずなのに。ここに馨の明らかな感情の発露、血が通ってくような感覚。逆に三日月は感情の起伏が減って大人になって偉いというか、大人になってしまったというのか。もちろん心理的側面は大きいにしても。今までの2人がそろっとここで入れ替わるのすごい巧妙だと思うんですけど、皆さんどうお考えですか。個人的には弥子√の一人でぐらぐら弾くシーンの次くらいに好きなんですけど。

歌を離れて2人で溶け合ってく丁寧さ、それでもしっかりと違和感は残してくるところはライターの腕の見せ所といったところか。三日月の何かを置いてきてるような感じ、一方でそれを支えようとする馨というのは、共通√でプテラノドンに入った時のソレを髣髴とさせてくる。でも引っ張り出そうとはしない馨の優しさ。なんだよこれ最高かよ。結婚してくれよ馨。俺も養ってくれ。

 

残ってた火種に対して最後もう一回火をつけてくれたのは八木原。さすがは生粋のロックンローラー、面目躍如といったところか。そして是清へ、音楽への答えを唐突に導き出す馨。同時になぜか亡き是木へ告白もする。幻影も見る。お前めっちゃ是清好きやな。そして三日月もめっちゃ是清好きやな。そして確実に三日月は是清の妹なんだなあってことを改めて実感させられる見事な構成。

――ただ音楽をやるだけ、それだけでいいんじゃないのかい?

そこに込められた思いが、感情が、誰かの心に刺されば、それだけで音楽に意味が生まれるじゃないか。人生に光が生まれるじゃないか。歌に力があるならば、そこに演奏者は想いを通すだけ。なるべく多くに人に、それが刺さればそれはしあわせなんじゃない?それで自分たちもしあわせを感じられるなら最高じゃないですか。

傷を見せたまま1年半ぐらい?ぶりに舞台に立った三日月というのは、音楽関係者やマスコミが「復活劇!」とか言って騒ぎ立てるのをわかってて自分たちの思いを伝えようと1万人の前に立つ。この辺は三日月の告白シーンの独白で出てきた業界関係者の「若死にして伝説を作る」というところに代表される、儚さ、神秘性みたいな自らについてるイメージに「クソが」というメッセージが存分に含まれてると思います。そしてバンド活動以外の仕事が減ろうがなんだろうが、ありのままで立ち向かう姿はかなりグッときました。

三日月と馨が結局1つのことにしか感情を捧げられないってのはもう序盤でわかりきってることだし、そんなに器用なら多分この人たちバンドなんかしてないし。ていうか、このバンドメンバーは皆、間違いなく『Dr.flower』に取り憑かれた人達だし。帰ってきたってまだまだ売れたいギラギラ感とひとつひとつのステージに賭ける情熱とか色んなもの、そして異様な仲の良さ。この温度感を生み出すような人達もまた、しあわせなことだなあと思います。馨と三日月がお互いが混ざり合ったことで、音楽への希望を再度取り戻して突き進む姿の美しきことよ。音楽はクソだから何?楽しいならよくない?という開き直りを答えとして是清に捧げる清々しさ。鮮やかな爽快感でした。

それでもシングルタスクな三日月が馨に尽くしてくれるところめっちゃかわいいんだけどね。あのまましあわせになったって良かったんだろうけど、それ以上に音楽に突き動かされちゃったんだろうなあ。三日月と結婚したい。すめらぎ琥珀先生最高。

 

個人的に最後に疑問なんだけど、EDに「初めまして!『Dr.flower』です!」って言うじゃん。あのシーン、過去の自分に別れを告げる象徴的なシーンってのはわかるんだけど、どこにかけての「初めまして」なんだろう。その前の馨の花しか知らないの件が入ったからなのか、この顔での初めましてなのか、それともライブに来たことない人に酔わせてやるぜ宣言なのか、単純に新生『Dr.flower』としての初めましてなのか。わかる人いたら教えてください。

 

 

 

感情の獣とでも言うべき三日月が真正面からぶつかってくることで、理性によって成り立っている馨という人物が「感情を表現する」ということを掴んでいく物語なのかなってのがファーストインプレッションだったんですけど。感情のままに動けるというのは澄と対照的な存在だと思うし、そうするとストーリー的にも、最終的なオチに対しても大きく差異が出てくるなあってのも思って。

でも一概に全部が対照的ってのも違うなってのが、「人に受け入れてもらう(と、当人が思う)ことの難しさ」ってのが両方に寄りかかってるなって思うのよ。

その結果、澄√では文字通りの1人になってしまうんだけど、三日月の場合は馨のそういう1人で坩堝に陥りがち側面も恐らく薄々気づいてて、泣きながら三日月なりに不器用にでも受けとめて活動してたんだなって考えると、三日月のすごさみたいなのが浮き彫りになってくる。馨の視点に立つと受け止めてる感強いんだけど、逆のことも言えるよね的な話。三日月は他人に関する観察勘鋭いし。めぐるに関しては混ざりあってるけど共依存感はないって言ったけど、この√のイチャついてる時は共依存感かなりあるね。

結局ひとりとひとりが2人になってまたひとりとひとりに戻るんだけど、音楽に感情を乗せる難しさと楽しさと美しさを改めて知ることで物語が帰結していく姿っていうのはいい。1回2人になったことで色んな感情、想いの作られ方、受け取り方っていうのを音楽以外のことを通じて知ったことで、確実にバンドに込める思いっていうのも変容してる彼らはかっこいい。ひとりとひとりに戻ったといっても、バンドという形では寄り添っているという関係性に近くなってオチるのかなっていう表記のほうが正解に近い気がします。いやまだお互いがお互いを想う気持ちも当然あるんだろうけど。お互いの音楽性・才能を拠り所にしてた部分が強かったものが、もっと別の部分でくっついた形でぶら下がってると言えばいいのか。自分で言うのもアレだけど、これを依存と言ってしまうと言葉としては強いのかも。マリみてでいうところの片手だけつないで的な関係性ですよ。多分伝わってない。僕個人としてはこれほど今ピタリときた表現なかったんですけど。

後どうでもいいけど、重要な場面に死んだ人が幻影で出てくるって、是清さん完全にヒロイン枠ですよね。あんな感情に抑揚がなくて、音楽しかできなくて、社会不適合者がヒロインってすげえヤだけど。

 

ここ無視してもらって構わないんですけど、三日月と同じこと思ってて。皆常日頃降ってくる感情とか悪意とかに対してどう処理してんの?僕はこういうことしないと全然処理しきれないんだけど。まあまあ引き摺るし。個性と割り切るにはいつもそれに持ってかれて、「めんどくせえなあ」とか、「ああつらっ」とか思ってるんだけど。それとも皆こういうこと思いながら生活してんのかな。だとしたら皆マジで偉いな。上手に出来事を飲み込める人間になりたいっていう個人語り。もう30なのに。

それとおまけとして、あれだけ感情迸ってくれる性格してると、1人語りさせたくなるし、させやすいよね。そりゃああんた、瀬戸口節も炸裂するわって話で。 

 

 

★総評(周りのザクっとした話をするので、ネタバレなしで書いてると本人は思ってます)

エンディングです。この話を上手い事一言でまとめようとするなら、

「今が一番しあわせです」

を今生きてる瞬間に、常に言える(か、言えるように努力する・ふるまう)事が重要、ひいては人生を生きていくことへと繋がるのかな、って感じでしょうか。

その為には自らの感情を理解して、それをどんな形でもいいから出力させるってのは大事なことで、それが人間らしく生きることなのかなってことを感じました。でも感情に任せて行動に任せてバカ正直にやると自分以外の人生に迷惑をかけてしまうこともあるし、やってることが分からなくなってしまうこともある。そこにぶち当たりながら自らの行き先を常に求め続けること自体に「しあわせ」があるのかなあと思いました。葛藤できることが「しあわせ」とも言えるのか、魂の行く末を決めるとでもいえばいいのか。

最初に僕が掲げた「感情の差し引きの先のゴール」の回答としては、「感じたままを受け取って感じたことを出力しろ。それに正しいもクソもあるかよ」ですかね。1人で処理するも良し、多数の人間に押し付けてやるも良しと。

 

「しあわせ」であるために魂を削って音楽と向き合う姿は瀬戸口廉也によって事細く、悪く言えばいやらしくねちっこく描かれていて、読み手側に嫌ってほど浴びせてくるのはハマる人ハマる。現に僕は常にゾワゾワしながらやってたし、ヤマを迎えた時は吐きそうなテンションだったし。

ただそれだけではどうしたって人を選ぶ作品になってしまうので、ここをもっとエンターテイメント寄りに昇華させたOVERDRIVEスタッフはさすがだと思います。確かに音楽を軸に楽しむ物語なので当たり前なんですけど、音楽があることで楽しくプレイ出来たし、音楽があったことで更なる世界への没入感が生み出されたと思います。これは小説ではできなくて、エロゲだからこそ出来た作品だと思います。すめらぎ琥珀先生最高。後花井是清はもう一人のヒロイン。

 

評価がひと通り出そろったエロゲをやるって機会は未だにずっとあります。繰り返しになりますが、発売日前からワクワクしてた、というか「MUSICUS!やり終わるまで死ねない」と言うくらい楽しみにしてた作品でした。終わった後の最初の感想としては

「やっぱり最高だった…」

でした。

そして僕の中でこの作品に対する面白さとか、それ以外の何かを精緻化したいと思ってこんな長文になり、文章を挙げるのも遅くなってしまいました。もっとホットなタイミングで挙げたいとは思ってたんですけど、その辺は僕のサボりぐせというか、2周目して新たに解説ポイントを検証したりとか、仕事がちゃんと始まっちゃったとか、色々言い訳がありますごめんなさい。

そもそも誰も期待してないし、僕なりのこの作品の立ち位置の整理、想いみたいなものを自己満足で書き連ねたかっただけなので、人からするとどうでもよかったわけなんですけど。僕としてはもうここまで書ければMUSICUS!は一応完結したのかなと思います。どっかのタイミングで追記したくなるかもしれませんが、ほぼケリが着きました。書き始めて3週間ぐらい経ってる…。以前に比べて書くスピードが確実に落ちてる…。

後、最初と最後は割とまとめたくせに真ん中はこんなダラダラ書いたかっていうと、さっき言った通り、自分の中で感想を整理するって役割は強いんですけど、最初と最後だけ読んでくれたような初見の人に触ってみては欲しいんですよやっぱり。こういう文章書く時って。ただやった人にはやった人なりにこの文章を読んでもらった何かを持って帰ってほしいなっていうのがあって、個人的な感想・考察なんかも多く取り入れてます。僕の書いたことが正しいなんてこれっぽっちも思っていません。皆さんがこれを読んで納得してくれるもよし、批判的な立ち位置をとってもらっても勿論よし。どっちかっていうと、これを読んでもう一度皆さんなりの感想・結論を整理してもらえればいいなと思っています。

 

最後にこのゲームで好きなセリフを置いて、長々としたお話を終わりにしたいと思います。めぐる√の楡さんより、

「無意味と無価値はイコールじゃねえ」

この文章、2万文字超えてるんですけど、全く意味はないです。でも読んでくれた人に少しでも価値のある文章になっていればいいなって思います。お疲れ様でした。

お気持ち表明

推しメンが卒業してから2ヶ月位経ちましたけど、まだたまに推しメン推しメン言ってるせいでなんだか心配されることがあるので、確認として書いておこうかなあと。

 

「あー金村美玖推すかー。お寿司かないかなー。でもなー。推しメンほどのこれって要素は僕の中にないんだよなー。1番推しメンの位置に近いかもしれないけどちょっと違うんだよなー。ここぞのインパクトは強いんだけどなー。推しメンって言われると違うんだよなー。

渡邉美穂?あーかわいいよねーべミホねー。でも多分推すなら真っ先に写真集予約して買うんだよなあ。そこまでの熱量はないんだよなあ。やっぱりちょっとこの子も違うんだよなー。

佐々木久美かー。わかる。一理あるけどいれこむほどではないんだよなあ。ささくなんかは年齢とかもあるからなー。多分彼女は正しく推せる時に推しておけの論法にガッチリ当て嵌るんだけど、それでも違うんだよなあ。

東村芽依ね。いい。どんどん垢抜けてく様とかは推しメンを追いかけてる感じがうまい具合に重なったりすることもあって時々感情が掴まれることがある。でも継続的に推しメンと言う程でもないというか、なんというかなー。

漢字もそりゃあいるよ。チャプチェとか、こばゆいとか。こばゆいなんかもうすごいでしょ。ぐっと綺麗になったでしょここ最近特に。元々美人顔だったのに埼玉の芋っぽさ抜けたらめちゃめちゃ美人になるじゃん。そりゃあ衝撃的だよ。

後あれね。写真集見たらめっちゃ可愛いなって思ったのは脚長だる絡み美大生ね。なんやあいつ。普段そんなにピンと来てなかったけど、あの写真集のテーマも狡いけど完璧に嵌ってるのずるいやん。

なんだよもう全員可愛いじゃんなんやねんあいつら!志田愛佳ほどの推し方はせんけど箱推ししたるわボケ」

 

と、いう状況なので、僕はいたって元気です。

急に推しが居なくなるということ

まず色々の大前提として。

around30の私は、欅坂46が好きです。オタクというと怒られるような気がするので、ファンぐらいで収めとくのが無難でしょうか。

ここはそもそもエロゲの話でもしましょうか、というテイで立ち上げてるブログなのでお門違いなのはよく理解してるつもりなんですけど、急に推しが居なくなるって、なんていうか、すごいんですよ。どこかに今持ってる感情を吐き出さないとやりきれなくなるくらいに。

でもこのブログの最初のテーマは自己満足だったような気もするので、気が済むまで自己満足出来るような文章を書きたいと思います。アイドルの話をしっかりするのって初めてだからやや緊張もしてたりするんですけど。エロゲよりも圧倒的に知識量が足りない。その辺は補足不足でしたらごめんなさいを先にしておきます。

 

というわけで、まずはこちらをご確認ください。

http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/news/detail/O00125?ima=0000

志田愛佳という子が卒業を表明しました。いや、そもそも表明なのか?えー、どこから説明すればいいんでしょう。

うーん、そもそもアイドルの卒業ってどういうものなのか、っていう話からした方がいいんですかね。もちろん例外はあるんですけど、秋元康プロデュースアイドルに関しては、下記の流れでほぼあってると思います。

卒業表明→卒業までの活動期間が発表される、同時にイベント等が立て続けに決まっていく→最後の出番で本人からの〆コメント

大雑把に言うとこんな感じ。各グループエース級が卒業となると上記の流れの規模がどんどん大きくなっていく感じですかね。乃木坂ファンの方々は西野七瀬で大忙しのことと思います。

 

で、賢明かつこのブログを見に来るようなアホの方々はお気づきかと思うんですけど。このアイドルの卒業が異端すぎるわけです。

上記の流れを全く無視して、公式からの発表ではい、おしまい。

推しじゃなくても「ちょっと待てや」という展開になってるわけです。推してる側からすると全く理解が追いつかないわけですよ。この報を聞いた直後の志田愛佳推しメンの、ゆきうたさんのツイッターを確認してみましょう(とはいえ、多少落ち着きを取り戻した後ですが)。

https://twitter.com/yukiuta/status/1063318334769266689?s=21

この当時のゆきうたさんですが「理屈ではわかってるけど感情が追いつかない」と述べていますね。この「理屈」に関する部分にも説明が必要だと思いますので、数日後のゆきうたさんが冷静にフォローしてみましょう。いやまだ冷静になってるかは甚だ疑問ではありますけど。

 

そもそも僕の推しメン、休養を取っていたんですね。

http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/diary/detail/15048?ima=0000&cd=member

このブログを期に、たまーに存在が見え隠れしてはいたものの、表立って志田愛佳が出てくることはありませんでした。

今冷静になったけど、半年以上推しメンの情報なかったの…。お前らどうやって生きてたの…。ていうか、どうやって生きてたの俺…。

という状況だったので、もちろん諦めていたわけではなかったものの、「帰ってこないかもしれないね」というのは、心のどこかで皆考えていたと思います。志田愛佳の卒業というのは、欅坂ファンなら誰しもがよぎっていた、伏線だったとも言えます。

故に理屈としては理解出来たんです。少なくとも僕は。ファンの皆さんも理解はできたと思います。「ああ、そうか。しょうがないね」と。

 

ただもちろんですが、納得できるかと言われれば話は別です。紅白歌合戦出場の決定、欅坂46全体としては初の写真集発売を目前に控えた、なんの前フリもない、無機質な発表でした。

年末に迫ってお膳立ては整ったと思うファンも少なくなかったはずです。写真集発売の事前情報では推しメンの写真も入っているという話も出てましたし…。この辺が僕の言うところの「感情」ですかね。理屈が感情に追いつかない話は、後でまたちゃんとしたいと思います。あの感覚はこの辺の事実も関係あるのかもしれませんけど、それだけじゃないもっと自らの言葉でハッキリとケリをつけたほうがいいような気がするので。

 

とまあ、ある程度の客観的事実と、僕の主観混じりな推しメン卒業発表までの流れをザッと振り返ってみました。全く状況を知らない人でも少しは経緯は理解していただけたでしょうか。わからなかったら適当にコメントくれれば対応するかもしれません。しないかもしれません。

 

そろそろ事実確認はいいでしょうかね。推しの話していいですか。

うちの推し、猫っぽいんですよ。

クールっぽい表情が結構似合うし、活動期間末期は坂系にしては珍しくガッツリ髪の毛染めて歌ったりしてました。1人が好きだったりする側面もありますし。

そのくせ笑うと可愛いし、こんなナリの癖にバラエティ能力は高いし、ああもう、魅力という点ではどこから話したらいいのかわかんないよもう。聞きたかったら1晩明かしてやるのでかかってこい。得意分野で急に話を振られたオタク特有の喋りをしてやりますから。

いつから推していたのか、何かそれはもうわかんないですね。でも多分、サイレントマジョリティーが出る前から推してたのは覚えてます。推しとしての付き合いは2年半以上続いたんだね推しメン…。

 

さて、そろそろ今回の卒業に関して僕の思う所をまとめてみましょうか。

時系列的に追いかけて、最終的に今どういう心境なのかってまとめ方がなんとなく無難な気がするので、丁寧に解説していきましょう。

最初の報を見た瞬間はよく覚えてます。トイレでうんこしながらなんとなくスマホを開いた時です。金曜日の多分14時過ぎぐらいですね。既に着座して一息ついた後だったのに「あああ…」と軽くうんこが出たようなボイスが漏れたのが鮮明です。うんこだけにね。

 

 

 

 

 

死にたくなったので瞬時に話に戻りますが、「そうか、アカンか」っていう諦めに近い感情に支配されました。上記に挙げた事情を脳内が瞬時に呑み込んだんでしょう。この辺が先程申し上げましたが「理屈」ですね。

ただ、何もなくこのまま居なくなるという現実に再び目を向けると、それはそれで理解が追いつきません。せめて何か、何かなかったのか。この置いてかれてる感が「感情」ですね。

ここでゆきうたさんの中でアンビバレントが生まれます。「理屈としては分かってるけど感情が追いついてない」ですね。1時間ぐらいはこの感覚に付きまとわれてましたね。そんなもん、仕事も上手いこと手につかないですよ。今たまたまアンビバレントが流れてきたから言ってやった的なことではないからな。最初から用意してたんだぞ。本当だぞ。

で、もうどうしようもなかったんで。タバコでも吸おうと思って。喫煙所行ってボーッとタバコ吸いながらまたスマホ開けて。そしたらblog更新されたって言うんで。

「そうだよな、いくらなんでも全く声明なしで居なくなるってのはさすがになあ」位のことはちょっと冷静になった今なら思いますけど、当時はそういうこと考える余裕というか、元気もなくて。特に考えもなくなんとなく開きました。

http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/diary/detail/18188?ima=0000&cd=member

「なんだ、思ったよりは元気そうじゃん」

と思ってからは、またグルグルと感情が廻り始めます。本人が元気ならとりあえずは救いじゃないのか?とか、それならどっかで動く姿ぐらい見られないものかとか、いやいや文面だけでもう人前で歌える状況じゃないのかもしれないしとか、思考が回った末の着地点は、皆様からするとやや異質なものであるのかもしれませんが、僕の中では原点に立ち返った結論でした。

 

「ああ、それでも彼女が幸せであってくれればそれでいいのかなあ」

 

僕がそもそも欅坂を見始めたきっかけって言うのが、以前勤めてた会社で腰をいわしまして、1週間くらい動けなくなったことがあったんです。

んで、週を跨いでもまだ動けませんねってなって。何となくアニメ見たりして中で、意味もなく日曜日の0:35、テレ東にチャンネルがあったんですね。

あっちゃったんですね。

けやかけの初回って今思い返すとぜんっぜん意味わかんないんですよ。欅のメンバーが自撮りした動画をMCと一緒に眺めるだけっていう。いくらなんでも突貫工事が過ぎるでしょって構成で。

そこに映し出されてる子達も、そりゃあまあ、何十倍というオーディションを勝ち上がってきてるわけですから可愛いんですけど、当然のことながら素人感満載で。最初見た時点では「へー、また秋元康がアイドルグループ作ったんだー」位の気持ちで見てたんです。

で、なんとなく視聴を続けまして。見てくうちに、このなんとなくに違う気持ちがプラスアルファされていきます。

 

「多分売れるんだろうけど、この子達ってどういう風に『アイドル』になっていくのかなあ」

って。

 

ちょっと言い方が安っぽくなるかもしれませんが、多分僕は欅坂46というドキュメンタリーを見始めた、と言うのが原点にあるんです。少女が多感な時期をアイドルという仕事に心血を注いでいく様を追いかけていきたいなあっていう。

その中でも1番見ていて何かありそうだなと思ったのが恐らく志田愛佳であり、結果的に推しメンという形へと変貌して行ったのだろうなと思い至ったんですね。なんでしょう、悟りの境地なんですかね。

もう少しまとめると、「この子めっちゃ可愛い!追っかける!」とか、「俺が推してスターダムに押し上げてやる」とかではないんですよ、スタートは。「どうなるんだろう?」という探検感覚とでも申し上げればいいんでしょうか。

 

傍から見てても、本人にとっても色々あって。少なくとも僕らから志田愛佳を追い続けることは不可能になり。年齢的には大人を迎えた彼女を、僕には少なくとも責めることは出来ないし、辞め方どうこうにもケチをつけるのも話は違うよな、とか思って。そして、上記のスタートラインを思い出し、とかやって。

そうすると、後はもう、彼女の今後が幸せであることを祈ることしか出来ないじゃないですか。

この3年間、追いかけさせてくれてありがとうっていう言葉しかかけられないんですよ、僕には。休養期間も含めて志田愛佳にいい意味でも悪い意味でも振り回されたんですから。

無論、振り回されるのが楽しかったから推してたわけですから、全く後悔はないです。正しく、推しは推せる時に推しておけ、ですね。

して、勿論まだ喪失感はあります。今後、欅坂46を同じように見続けることは可能なのか、とかも考えます。今更可愛いで追いかけるように切り替えるには、時間が経ちすぎました。だったら他のアイドルをそういう目線で探しに行く方が作業としては楽だと思います。

 

でも、それでも。

 

僕には彼女を責めることは不可能でした。

 

ありがとう、お疲れ様。

僕らの知らない志田愛佳を精一杯生きてください。

 

以上、急に推しが居なくなるということでした。

 

 

 

書き終えての雑感、もしくは蛇足です。我ながら結構綺麗に締められたなと思うので、あんまりこういうの書くのも良くないかなって考えなくもないんですけど、書き終えたなりの感想というか、エロゲブログっぽい締め方もひとつ置いとこうかなと。

以前書いた『WHITE ALBUM2』で、かなり好きなシーンがあるんですけど。

主人公の春希がc.c.の冒頭で、元同級生のかずさの事を出版社に書くっていうところがあるんですけど、彼にとってこれを真正面から書くというのはものすごくしんどい作業で。色々と手を打って何とか避けようとするんですけど、それでは出版社からOKが出なくて。

最終的に締切の前日に、本人がぐっちゃぐちゃになりながら徹夜で原稿を書き上げ、その足で出版社に提出するという、僕の中では屈指の名シーンがあります。

 

感情や思いを文章に載せるのは、すごく難しい作業だと思います。しんどい作業だと思います。正しく届いているのかとか、書くこと自体が正しいのか、とか自問自答は起きます。そして、自らをさらけ出すと言うのは、同時に恥ずかしい作業でもあります。

でも、それでも。

自らを傷つけてでも書きたい、伝えたいという感情が勝る瞬間というのはあるものです。

推しは推せる時に推すように、書きなぐりたい時は書きなぐった方が精神衛生上もよろしいと思います。こうすることでしか感情の整理の仕方を知らないっていうのもあるんだと思いますけど。

 

予想通り5000オーバーしてきましたね。

こんなもん読んでる暇があったらもっと他のことに時間を費やしなさい。